先月子どもたちに語ったお話です。
これもグリム童話から選びました。

このおはなしの好きな点のひとつは、
神さまが「小さい悪さ」には目をつぶってくれることです。
いちいち罰してたら切りがない、というわけです。

主人公のしたてやさんは、
自分は聖人君子でも何でもない、むしろ、せせこましい小人物なのですが、
他人の小さな悪事には目くじらをたて、罰しようとします。

それを神さまからひどく叱られてしまうのですが、
もうひとつ面白いのは、それでもなお、
あまり懲りてない風な終わり方です。

おはなし全体に、何か「寛容」というか、
「しょうがねえなあ」という、
落語でいうところの「人間の業の肯定」(立川談志)が感じられるのです。

グリム童話には、落語みたいだな、というおはなしが時々あります。
古典落語の『死神』も、もともとはグリム童話の『死神の名付け親』から来ているようです。
どちらも語りによって人間を表現するということで、
何か通じるものがあるのかもしれません。

ところで子どもたちは、
したてやさんが悪さをして知らんぷりしているところへ
神さまが戻って来たくだりで、しんと静まり、話に集中してくれたようでした。

「ばれちゃうぞ、叱られるかもしれない、どうなるんだろう!?」
という心持ちでしょうか。

私自身もそのような気持ちは身に覚えがありますし、
たしかに緊張の一瞬かもしれません。

まったくの初心者で拙い私でも
子どもたちのそうした空気が何となく感じられるのが、
昔話の底力なのだろうと思うと、つくづくその魅力に惹かれます。

「もっともっと、たくさんおはなしを覚えたい!」という欲が膨みます。
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by yoinezumi | 2016-08-16 18:24 | おはなし