2017年 08月 24日
魚売りと仙人

5年生のクラスでおはなしをすることになりました。
友人の紹介で、公立小学校で月に1回程度、
昔話を話に行っています。
第一回目は5月、中国の昔話「魚売りと仙人」にしました。
何の変哲もない魚売りの男が、
ある日不思議な夢を見たのをきっかけに、
物乞いの姿をした仙人から
不思議な真珠を手に入れることに成功します。
それからは、
塩漬けの魚を生きた魚に変えることができるようになり、
大儲けをするのですが、
不審に思った仲間に真珠を取られそうになって、
その真珠を思わず飲み込んでしまいます。
ところがそれによって、
男はさらにすごい術を身につけることができるようになるのです。
これも、魔法のでてくる話で、
私の好きなタイプです。
他の中国の昔話にも良く出て来る仙人たちは、
どうやら大概の場合、
物乞いのようなみすぼらしい姿をしています。
見た目と裏腹に、とてつもない力を持っている、
というのはとても面白いと思うのです。
人間はステレオタイプな見方では推し量れない、
と言われている気がします。
しかも仙人自身は、魔術によって優雅な暮らしをするわけでもなく、
本当に物乞いをしながら、または山奥で古い祠に住んだりしながら
暮らしているんですよね。
道教の修行とも関係がありそうですが、
ともかく、術で人助けはするけれど、
自分はそれで得をしているわけではないようなんです。
謎の人たちだけれども、
何か不思議な力を持っていて、
普通の庶民が時折、その恩恵を受ける。
ただ、「虎になった弟(人虎報仇)」でご紹介したように、
その結果が吉なのか凶なのかは、
どちらとも言えない場合もあります。
この白黒つかなさが、
また魅力であるかもしれません。
底本は、「中国民話集」(岩波文庫)です。
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by yoinezumi
| 2017-08-24 12:48
| おはなし
2017年 04月 25日
虎になった弟(人虎報仇)

『聊斎志異』(蒲松齢・作)という物語集からの一編を話しました。
(他はこれまでに語ったことのある、
「ねずみの国」「マーシャとくま」「ちえ者のグレーテル」)
これは作者のある小説で、昔話ではないのですが、
蒲松齢が中国の様々な伝承を取材していたらしく、
昔話のテイストが強く感じられ、
語って面白そうだと思ったので選びました。
といっても、元の文章は日本語訳も漢文調で、
熟語が多くきりっと締まったかっこいい文体です。
これは、文字を読むにはとても魅力的なのですが、
耳だけで聴いても筋がわかりにくいだろうということで、
まことに勝手ながら、
おはなし調に全文直しました。
(もとになった本は会場でお客様にご紹介しました。)
タイトルも「虎になった弟」としました。
物語は、
仲のよい兄弟の兄が、
あることで若旦那の怒りを買い、
殺されてしまう。
その仇討ちをしようとした弟が
道教の坊さんの術によって虎の体にされてしまい、
仇は取って人間の姿に戻ったものの、
その後は寝たきりになってしまうというお話です。
話し終えた後、
お客様が「弟は鬼になってしまったということですよね。」と言われました。
なるほど、私はそのまま文字通り受け取っていましたが、
弟の心を虎という形で表現したと考えるとまた面白いです。
昔話、伝承話(今回はそれをもとにした(?)小説ですが)は、
聞いた人によって様々な受け取り方ができる気がします。
そこが、とても開かれた感じがする。
今回は大人の方が多かったので、
終わった後に色々ご感想など聞くことが出来て、
貴重な体験でした。
また、どうやってお話を選ぶのか、という質問もありました。
「すごく好きな箇所があること、言いたくなる言葉があること」と答えましたが、
この「人虎報仇」の場合は、
緊張感のある展開と、
神仙の術が出て来ることでしょうか。
魔法の話は好きです。
不思議な話には魅力を感じます。
そういえば子どもの頃、
「自分は魔法使いだ」って友だちに言ってたな…。
半分は願望、半分は信じてるんですよね。
幼稚園児だったので友だちも半信半疑です。
(←友だちのお姉さんには嘘だと言われましたが、
そりゃもう、いたしかたない。)
おままごとのハタキの柄を、
魔法の杖にして遊んでいました。
子どもはからだ半分ファンタジーの世界で生きてる気がします。
…私だけじゃないですよね…?
底本は、『新編バベルの図書館6』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス編纂、国書刊行会)です。
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by yoinezumi
| 2017-04-25 19:20
| おはなし
2017年 03月 22日
マーシャとくま

ひなまつりの日でしたので、
女の子が主人公の話を選んでみました。
おじいさんとおばあさんに育てられているマーシャという女の子が、
森で友だちとはぐれてしまい、
熊の小屋に入り込んで捕まってしまって、
やむをえず一緒に暮らすことになります。
熊に、もう逃がさんぞ、ここで暮らしてもらおう、
黙って外へ行ったら食べてやる、と脅されるのです。
これ…大人が読むと結構な大事件にも受け取れませんか…。
が、物語は淡々と、できごとを語るのみ。
昔話で私が好きな点のひとつは、これです。
できごとをシンプルに語り、
叙情や感傷、飾り立てなどは、ほぼ無しです。
何が起こったかに徹していて、
乾いた、というほどではないにしろ、
ベタつきのないさらっとした語り口。
そして「次どうなるの?」というドライブ感。
なんか、かっこいい…って思っちゃいます。
だけど、読んだ人聞いた人が自分の経験などに照らし合わせて、
自由に登場人物の思いや、できごとの背景などを想像して、
自分だけの世界を作り上げることもできる。
しかも特に正解はない。
何しろ、昔話は詠み人知らず、作り手知らずですからね。
扉の鍵だけを渡してくれて、
あとは自分で感じ取ればよい、
もしくは、
「わからなくてもいいから、持っておきなさい、
あとで役に立つ時がくるかもしれないよ」
というのが昔話なのかもしれない、なんて思います。
マーシャは、考えて考えて、
熊をある意味手玉にとって、家へ帰る作戦を思いつきます。
これまた、深読みするとすごい気がします。
とはいえ、お話の印象はかわいくてわかりやすく、
熊も最初は怖い気もするけど、
中盤からは愛嬌があります。
私がこの話を選んだ一番の理由はラスト。
おじいさんとおばあさんが最後に言うひとことです。
これこそが、自分の知恵で困難を乗り越えたマーシャに同化した
読み手、聞き手へのご褒美のように思えるんです。
底本は、「ロシアの昔話」(内田莉莎子編・訳、福音館文庫)です。
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by yoinezumi
| 2017-03-22 17:29
| おはなし
2017年 03月 11日
井上洋介展と『電車画府』

そんなとき出会ったのが井上洋介の『電車画府』という画集。
真っ暗闇のなかから、げらげらと笑い声が聞こえるような、
底知れぬエネルギーが沸き上がるような絵だった。
どうしようもない現状を笑って歌って踊ってしまえ!という感じは、
私の好きな"black music"(今こういう言い方はしないかもしれませんね)にも
通じる気がする。根底に、どこか「滑稽さ」という強さがある。
とにかく、その当時、この『電車画府』にとても励まされたと思う。
その後サイン会でご本人にお目にかかれて、
「この赤はとてもきれいなのですが、何の絵具ですか?」と聞いた。
すると井上さんはふと目を上げてこちらを見て、
「フランスのルフランという絵具。手に入りにくいかもしれないけど。」
と答えてくれた。私はほぼ独学で絵を描いていたので、
「かっこいい絵を描く人」に知らない絵具を教えてもらったことがとても嬉しかった。
ある時期から長いこと、この画集を見ることはなかった。
この本を机の上に開いて力をもらいながら絵を描くこともなくなった。
やりたいことが少しずつできるようになって、
細々とではあるけど、今は目の前のことを少しでも良くするように、
焦らず地道にこつこつと仕事をすることができる。
でも、あの頃の自分はこの絵をとても必要としていたし、

『電車画府』の原画も飾られた今回の展覧会を観て、
遠いできごとのように思い出した。
かわいい「くまの子ウーフ」(神沢利子・作/井上洋介・絵)のバッジを買って帰った。
「本というものは、まわりまわって届くべきところに届くものだ」
(うろ覚え。だいたいそんなこと。)と
『水妖記』の作者フーケーが言ったそうですが、
本当にそういう気がします。
「井上洋介没後1周年大誕生会」(アートコンプレックスセンター)3月12日まで。
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by yoinezumi
| 2017-03-11 11:50
| 絵本
2017年 02月 28日
節分の火/ねずみの国

ちょうど節分の日だったので、せっかくの機会だと思い、
節分について辞書で調べて、
おはなしの前にその意味を少し説明しました…が、
これはちょっと失敗。
おはなしを聞こうと待っていた子どもたちが、
すぐにざわざわがたがたして気が散りました。
席を立つ子もいました。
そして、おはなしを始めると、しん、として耳を傾けてくれたのでした。
たしかにウンチクって、
押し付けがましいところがあるしな…
と反省。
でも『月宮殿のおつかい』の時に「月宮殿」の説明をした時には
ちゃんと聞いてくれていたから、単に
「節分の意味くらい知ってるよ!」だったのかもしれません。
いずれにしても、
"「教養」っぽいことをただ教えられても、面白くない"、
というのは気に留めておこう。
さて、
「節分の火」は、
ある家の女中が、
節分の夜だけは囲炉裏の火を消さないように、
と主人に言われるのですが、
夜中につい眠ってしまった間に、火が消えてしまいます。
誰かに火を分けてもらおうと外に出ると、
棺桶を背負った人に出会います。
その人は、棺桶を預かってくれたら火を分けてやる、と言うのです。
「棺桶」という言葉が出て来ると、
子どもたちの雰囲気が引き締まりました。
私自身も読んだ時そうでしたが、
ただならぬものが出て来ると、
どうなるのか、先を知りたくなりますよね。
わけあって「棺桶」を預かった女中が、
最後にはお金持ちになってめでたし、というおはなしです。
「ねずみの国」は、
ねずみにそばもちを食べさせたじいさまが、
お礼にねずみのうちへ呼ばれてごちそうや歌でもてなされ、
おみやげをたくさんもらって帰ります。
それをまねした欲ばりなじいさまが同じことをやって、
たいへんな目に会う(最後はもぐらになってしまう!!)おはなしです。
この話を練習しながら気づいたのは、
欲ばりなじいさまのエピソードの方がいきいきしていること。
最初のじいさまのところはあっさりと終わって、
欲ばりなじいさまのくだりの方がずっと面白いんです。
ねずみの国に行くまではいいのですが、
欲ばりなじいさまは
「ごちそうや歌よりも、おみやげをもらって早く帰りたかった」。
日々の生活の中で、
そういうわけにはいかないんだけど、
本音を言うと…っていうような、
ちょっとした解放感が、
ここには感じられるんです。
昔話で欲ばりなじいさま(又は、ばあさま等々)のすることには、
誰でも心のうちに持っているだめな部分とか、
思っていても表に出してはまずいようなことが
託されているのかも?
それをやっちゃあおしまいよ、というようなことが。
このおはなしには歌の部分があって、
ただ棒読みしてもつまらないので、
適当に作曲して歌いました。
もともと素人がそれぞれに語り継いできたものだから、
好き勝手に歌っていいだろう、と。
昔話の研究者から聞いたことですが、
「正統な昔話」というのはないそうです。
だから、いいんです!
というわけで、
歌いながら、昔話の懐の深さというか、
語り手にもよりそってくれるような安心感を感じています。
底本は前にも紹介した、
「ちゃあちゃんのむかしばなし」(中脇初枝再話・福音館書店)です。
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by yoinezumi
| 2017-02-28 18:30
| おはなし