2017年 02月 10日
ちえ者のグレーテル

食いしん坊の料理人グレーテルは、
主人とお客さまのためにこしらえた鶏の丸焼きを、
自分でふたつとも食べてしまう。
それには、当人としてはもっともな理由があるのですが、
(へ)理屈を言いながらだんだん焼き肉を食べ尽くして行くところが、
とてもおかしくて面白い。
食いしん坊ならではの、
料理を大事に思うからこそなんだけど、
自分の都合のいいように解釈するんです。
ところが、来ないと思っていたお客さまが
なんと来てしまった!
その時のグレーテルの対応が、
あまりにもすばやくちゃっかりと機転を利かせています。
プチ悪です。
私が好きなのは雇用主であるだんなさんの反応で、
グレーテルとだんなさんの会話がとてもいい。
翻訳も滑稽であたたかい魅力があります。
なんだかこのだんなさん、ちょっとお人好しというか、
全然グレーテルを疑ったり叱ったりしなさそうなんです。
グレーテルにとってはきっと、いい職場!
最後はとても素晴らしいオチがつきます。
昔のサイレント喜劇映画のような映像が目に浮かびます。
子どもたちは、こないだと同様(といっても違うクラスの6年生)、
笑いが起こるまでにはなりませんでしたが、
目がにこにこしている子どもがいたので、
まあよしとしよう!というところです。
それに以前、姪に話した時にはクライマックス(?)のところで
吹き出してくれましたしね。
底本は『完訳 グリム童話集2』(金田鬼一訳、岩波文庫)です。
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by yoinezumi
| 2017-02-10 18:33
| おはなし
2017年 01月 15日
日本一のへひりにん

先月語ったおはなしは高知県幡多地方の昔話『日本一のへひりにん』です。
高知県と書きましたが、日本各地に似たものが伝わっていて、
朝鮮、中国にも類話があるそうです。
室町時代にはすでに成立していたという古いお話で、
私も昨年京都に行った時に偶然、
京都国立博物館でこの話の絵巻が展示されているのを見ました。
題名からして可笑しいのですが、下ネタの笑い話です。
(声に出してこの題を言うと、ちょっと楽しい気分になります。)
じいさまが、勝手に木を伐採してはいけないのにたきぎとりに行き、
番人に見つかり咎められたところを、
自分は日本一のへひりにんだ!と言って屁の妙技を見せて許してもらい、
それを欲張りなじいさまが真似をして失敗するというお話です。
あらすじはとてもシンプルですが、
言葉遣いがとても面白く、つい口に出して言いたくなります。
これまでいくつかの素話をしてきましたが、昔話は言葉の使い方が絶妙で、
ちょっとした短いくだりがさし挟まれているおかげで物語に共感できたり、
登場人物の人となりがわかったり、説得力が増している気がします。
筋を追うだけではない、物語る言葉としての作用が強いと感じます。
6年生のクラスは私の淡い期待をよそに笑い声はおきませんでしたが
(6年生にもなると反応がクールになるそうですけれど)、
欲張りなじいさまが粗相をした「びちびち」に「ゲ○だ、○リ!」と言ったり、
最後、売り物に「びちびち」をかけられた砂糖売りのばあさまが
「欲張りなじいさまの尻をそいでしまいましたと。」
と終えると「ひでえ!」という声が聞こえたりと、それなりに受け止めてはくれたようです。
年頃にもよるでしょうが、「笑い」を起こすのは難しいなあ、と改めて感じました。
底本は『ちゃあちゃんのむかしばなし』(中脇初枝・再話、福音館書店)です。

自分が絵を担当した『ゆきドラゴン』(加藤志異・作、学研おはなしプーカ2016年2月号)も読み聞かせました。
絵の世界も、これはこれで言外の様々な感覚を込めることができるし、読み取れると思います。
ただ図示するのではなく、画面の向こうに本当にその世界があるように、
手触りや匂いまでも描いていきたいと思っています。
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by yoinezumi
| 2017-01-15 14:06
| おはなし
2016年 11月 18日
狩人ハイリーブ

村人たちを助けるために自らの命をひきかえにした若者の伝説で、
余韻の残るお話です。
悲しい話はあまり性分にあわないのですが、
この話には色々な要素が含まれ、魅力があるのです。
若者の悩む姿だけでなく、
動物たちとの不思議な体験、
目もくらむような金銀や宝石、
そして壮大な自然の猛威と、
短い中にも展開が次々変わり、盛りだくさんです。
話が進むとともに心の中にイメージが次々と作り出されて、
飽きずに聞いてくれそうだと思いました。
実際、とても静かに最後まで聞いてくれました。
この話をどう捕らえるかは、
人によって、また、年代によっても変わりそうで、
それもまた面白いところだと思います。
ところで、話しながら何故だかいつも涙が出そうになる場面があります。
村人たちに話を信じてもらえず泣いているハイリーブに年よりたちが近寄って、
「おまえはこれまで嘘をついたことがない。それはみんなが知っている。」
と慰め、よくよく話を聞こうとするのですね。
我ながら不思議なのですが、
毎回ここで、こみ上げてくるものを感じます。
底本は『けものたちのないしょ話〜中国民話選』(君島久子訳、岩波少年文庫)です。
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by yoinezumi
| 2016-11-18 12:01
| おはなし
2016年 10月 28日
絵本の読み聞かせ

9月、10月は、自分が絵を担当した絵本『月宮殿のおつかい』を読みました。
小学校でおはなししているのですが、
もともとは、絵本の仕事とは別に、
昔話をそらで語りたくて始めたので、
読み聞かせをする予定はありませんでした。
けれども、長年読み聞かせをしている方から、
「こういう仕事(絵本画家)もあるんだ、と子どもたちが知ることができる」
というアドバイスをいただき、
なるほど、自分の本を読むことには、
そういう側面もあるのか、と思ったのです。
おはなしそのものだけでなく、
子どもたちが受け取ることは色々なんだな、
と目からウロコの一言でした。
もちろん、自分の絵本を子どもたちが知ってくれること自体、
とても嬉しいのは言うまでもありません。
これまで読まずにいたのは、
単に私が絵とは別なこと(素話)もやりたかったからです。
やってみて思ったのは、
絵本の持ち方は意外に気を使うこと。
みんなに見えるように、
しかも自分も読めるような位置に固定しなければいけない。
けっこう腕も疲れます(笑)。
顔が絵本の方を向きすぎると、声が前に届かないかな?
とか、毎回、色々気になります。
読み聞かせは、暗記しなくても大丈夫なのでその点はらくですが、
これはこれで、何かとコツがありそうです。
『月宮殿のおつかい』は十五夜のおはなしなので、
この季節にいいかと思いました。
季節感も大事です。
日本や中国などに伝わる「月宮殿」の言い伝えについて少しだけ説明してから読みました。
読み終わった後、
子どもたちが「うさぎって(昔話などでは)賢いんだよ」なんて
お友達と話しているのを聞いたりすると、
よしよし、それぞれに何かしら受け取ってくれたかな、と嬉しくなります。
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by yoinezumi
| 2016-10-28 11:16
| おはなし
2016年 08月 16日
おはなし(3回目)〜『天国へ行ったしたてやさん』
これもグリム童話から選びました。
このおはなしの好きな点のひとつは、
神さまが「小さい悪さ」には目をつぶってくれることです。
いちいち罰してたら切りがない、というわけです。
主人公のしたてやさんは、
自分は聖人君子でも何でもない、むしろ、せせこましい小人物なのですが、
他人の小さな悪事には目くじらをたて、罰しようとします。
それを神さまからひどく叱られてしまうのですが、
もうひとつ面白いのは、それでもなお、
あまり懲りてない風な終わり方です。
おはなし全体に、何か「寛容」というか、
「しょうがねえなあ」という、
落語でいうところの「人間の業の肯定」(立川談志)が感じられるのです。
グリム童話には、落語みたいだな、というおはなしが時々あります。
古典落語の『死神』も、もともとはグリム童話の『死神の名付け親』から来ているようです。
どちらも語りによって人間を表現するということで、
何か通じるものがあるのかもしれません。
ところで子どもたちは、
したてやさんが悪さをして知らんぷりしているところへ
神さまが戻って来たくだりで、しんと静まり、話に集中してくれたようでした。
「ばれちゃうぞ、叱られるかもしれない、どうなるんだろう!?」
という心持ちでしょうか。
私自身もそのような気持ちは身に覚えがありますし、
たしかに緊張の一瞬かもしれません。
まったくの初心者で拙い私でも
子どもたちのそうした空気が何となく感じられるのが、
昔話の底力なのだろうと思うと、つくづくその魅力に惹かれます。
「もっともっと、たくさんおはなしを覚えたい!」という欲が膨みます。
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by yoinezumi
| 2016-08-16 18:24
| おはなし